私は「内蒙古外国語職業学院元の内蒙古知力引進外語専修学院」出身のウランです。
現在「神戸大学」医学部の学院生です。
憧れの日本へ留学することを決めたのは2005年6月に「内モンゴル民族大学」を卒業してからでした。しっかりした世界観や広い視野を見に付けたい、そんな思いが留学という形になって実を結びました。若いうちにいろいろな経験をしたいと考えています。
21世紀の社会は中国でも日本でもどちらも競争が激しいでしょう。激しい社会の中で生きていく前提条件の一つとして自分の知識を高めることが必要です。また社会の一員として、多くの人々の中で生活しているから人間関係も大切だと思います。そして人間関係について個人的なネットワークを作るコツを知っておくことも大事です。相手に頼まれ蛸と、必要としていることをどれだけ提供して上げられますか。それは飲みに行くこととかではありません。その人間関係の中で信頼を築いていくことによって「私はこの人をすごく信頼しているからみんなにこの人を紹介するわ」となるわけです。だから一番のポイントはお互に信頼できる人間関係をどう作るか、それをどう広げるかと思います�?/FONT>
ところで、私が日本語を勉強した方法を在学の皆様の勉強に少しでも役に立つよう紹介させていただきます。
日本へ留学するには日本語をマスターしなければならないので、2005年9月に「智力引進外語」で日本語を勉強し始めました。私は日本語には興味がありました。外語語を勉強するのはまず、毎朝早起きしてテプレコーダーを聞きながらまねて大声で朗読する必要があると思っています。繰り返して朗読しているうちに単語や文字などが覚えられます。授業中は予習でわかりにくい文法、覚えにくい単語に特に注意しながら先生の説明を聞いていました。授業が終わったら自分で授業中の内容を全部覚えるように復習するなどを繰り返し実行してきました。使っていた教科書は「みんなの日本語」などでしたが「標準日本語」の単語も一緒に覚えてきました。
一番いい思い出として残っているのは初級クラスです。午前中の先生は責任感の強い先生で、毎日私たちに暗証をさせました。午後の会話の先生は知識が広くて,分かりやすく教えてくれたおかげで勉強を難しいと思わないで楽しく過ごしました。2006年12月に日本語能力試験の1級試験を受けて、合格しました。幸せでした。
2007年の4月に「鈴鹿国際大学」「国際学科」の編入生として来日しました。来日したばかりのころでもそんなに困まらなかったし、日本の生活に早く慣れました。2009年3月に「鈴鹿国際大学」を卒業して、好きな「神戸大学」の医学部の学院生になりました。2005年「内モンゴル民族大学」を卒業しました。専門はモンゴル医学でした。
その時直接に日本の大学の医学部の指導の先生を見つけるのはなかなか難しかったです。歩んだ道がまっすぐではなかったですが、いろいろな知識を学んだら将来の歩む道に役に立つと思っています。
日本は医学の先進国だから日本で医学を勉強したいという気持ちは元々から強かったです。自分の夢を実現するためどんなに難しい問題に遭っても頑張ります。どんなに難しい問題でも永遠に継ぐわけではありません。世の中の価値観や考え方はどんどん変わっていくので壁にぶつかってもだめだと諦めないで少し違うルートを考えてみることが大切だと思います。
若い時に母国と違う社会や文化圏で過ごすのはとてもいい体験だと思います。困難やプレシャー、あるいは楽しい経験を自分のためだけではなく、社会のためにも使っていただきたいと思います。一人一人のネットワークはそれとつながることによって大きな論になるからです。
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